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ナノの決死圏

メンバー 五十嵐 卓也

自然界は、ナノ材料で満ちあれている。各種の酵素、細胞内のタンパク質製造装置であるリボソーム、最小の生命体であるウイルスは、天然のナノ粒子であり、細胞骨格と呼ばれる微小管は、天然のナノチューブであり、細胞膜は、天然のナノフィルムである。生体には、外部から侵入する異物への防御システムが備わっており、多様な手段で侵入を拒み、また、侵入したものを体外に排除する。しかし、侵入した異物の量が生体の排除能力を超えてしまったとき、生体内に滞留して悪影響を及ぼす。これは、その異物が天然や人工のナノ材料であろうと、非ナノ材料であろうと、同じである。

ナノ材料の有害性は、その成分、大きさ、形状等の材料固有の性質のほか、用途や製品のライフステージに応じた生体への取り込まれ方によって異なると考えられる。水に溶けにくく生体との反応性が低い成分(例えば、二酸化チタン)から成るナノ粒子を吸入した場合の有害性(吸入毒性、肺毒性)の発現のシナリオは、次のように説明されている。

まず、呼吸で吸い込まれた空気は、鼻腔・口腔から咽頭・喉頭・気管・気管支を経て肺胞に達する。この空気と共に吸入された粒子は、その大きさに応じて呼吸器の異なる部位に達し、一部は呼気と共に排出され、一部は粘膜や肺胞に接触して沈着する。粒子の大きさが5 µm以上であると多くが鼻腔粘膜に沈着すると言われている。大きさが1~5 µmであると多くが上部気道に沈着し、粘膜の線毛運動で粘液と共に咽頭に運ばれ排出される(気道クリアランス)。大きさが0.1~1 µmであると、再排出されて、呼吸器のどの部位でも沈着率は低いとされ、0.1 µmより小さいと肺胞での沈着率が高くなるとされている。

ISO 7708:1995 “Air quality — Particle size fraction definitions for health-related sampling”では、用語として、気中粒子のうち鼻や口から吸引されるもの(吸引性粒子inhalable fraction)、咽頭を通過しないもの(extrathoracic fraction)、咽頭を通過するもの(咽頭通過性粒子thoracic fraction)、咽頭を通過するが繊毛で覆われていない気道にまで達しないもの(tracheobronchial fraction)、繊毛で覆われていない気道にまで達するもの(吸入性粒子respirable fraction)を規定した上で、吸入性粒子は、空気力学的粒子径4 µmで捕集率50%に設計されたサンプラで測定するものと規定し、主要国の作業環境基準で参照されている。

肺胞に沈着した粒子は、肺胞表面を覆っている生体界面活性剤であるリポタンパク質を吸着し、タンパク質の衣をまとった状態で、肺胞に常在するマクロファージに取り込まれて気管支末端に運ばれ(肺胞クリアランス)、前述の気道クリアランスに引き継がれる。マクロファージは、免疫細胞の一種で、体内に侵入した細菌、ウイルス等の異物や損傷を受けた細胞等を特有の食作用(ファゴサイトーシス、対象の大きさが0.5~5 µm程度)又は他の細胞にもある各種の飲作用(ピノサイトーシス。ナノスケールの対象に対応する仕組みもある。)によって取り込んで化学的に破壊し、又は物理的に排除する。無機質の粒子を取り込む際には、特に、「コラーゲン様構造をもつマクロファージ受容体(MARCO)」と呼ばれるスカベンジャー受容体(マクロファージ表面に配備された、異物をパタン認識するタンパク質の一種)が働いていると言われている。マクロファージは、異物処理の過程で、異物の種別に応じた信号タンパク質(サイトカイン)を放出して、各種の免疫反応を起動する。

マクロファージや血液から遊走してきた好中球(白血球の一種)は、ナノ粒子を食作用等によって取り込んで処理する過程の副作用で、周辺の組織に炎症を引き起こす。沈着ナノ粒子の量が多いと、肺胞マクロファージが増殖するほか、単球(白血球の一種)から分化した浸出性マクロファージ等も加わって、肉芽腫性反応や組織の線維化によって異物を隔離し封じ込めて沈静化するが、場合によっては、炎症が持続して重い症状につながることがある。

なお、肺胞表面において、大きさ数µmの粒子は1時間で10%以上が、24時間で80%以上がマクロファージに食作用によって取り込まれるのに対して、2次粒子径20 nmの二酸化チタン粒子は、24時間後でもごくわずかしかマクロファージに取り込まれていないという研究報告がある。マクロファージに取り込まれなかった粒子の一部は、Ⅰ型肺胞上皮細胞の飲作用によって数時間で肺胞表面から間質に移行し、数日で間質からリンパ節に移行し、さらに、数十年かけてリンパ節から排除されると考えられている。こちらの経路の方こそ、ナノ材料特有の有害性に関連しているのではないかとも感じられる。

こうした1~100 nmのナノスケールの生体活動は、可視光の波長が400~600 nmであるので、光学顕微鏡では観察できず、真空状態が必要な電子線を用いる電子顕微鏡では、死んだ状態しか観察できない。2012年2月、大型放射光施設SPring-8を利用した国立遺伝学研究所の前島一博教授らの研究によって、太さ2 nm、長さ2 mのヒトゲノムDNAは、1976年に提唱された太さ30 nmのクロマチン繊維のソレノイド(筒型コイル)モデルとは違って、染色体の中に不規則に収められていることが分かった。これは、ナノスケールの生体活動の観察が容易でないことを象徴的に示している。

化学物質の管理・規制の科学的基盤である毒性学は、もっぱら、液体に溶けた分子という、非常に小さな物を対象に発展してきたものであり、液体に分散・懸濁した不溶性のナノ粒子のように、非常に大きく、大きさに分布がある物を相手にしたとき、動物実験の用量設定の尺度は、従来の単位体積当たりの質量でよいのか、それとも、単位体積当たりの個数や表面積など、何か別のものを用いるべきなのか、また、それを計測して狙ったとおりに調製できるのかといった問題に直面している。さらに、同じナノ材料でも、試料を調製するときの分散方法が違えば、まるで違った試験結果が出ることもあり得る。毒性学は、ナノ材料特有の有害性とは何か、管理・規制の対象をどのように線引きすべきか、といった疑問にまだ答えを示せていない。

【参照文献】
Geiser M, Casaulta M, Kupferschmid B, Schulz H, Semmler-Behnke M, and Kreyling W. “The Role of Macrophages in the Clearance of Inhaled Ultrafine Titanium Dioxide Particles”American Journal of Respiratory Cell and Molecular Biology, vol. 38, no. 3, pp. 371-376 (2008).

http://ajrcmb.atsjournals.org/content/38/3/371.full

http://ajrcmb.atsjournals.org/content/38/3/371.full.pdf