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パーソナルなリスク管理の記録:福島原発事故からの三週間

メンバー 岸本 充生
 まだ終息したわけではないけれど、この三週間は、日々変化する状況の中で自らのリスクをどのように評価し、どのように対応するか、そして周りにリスク状況をどのように伝えるべきかという課題を朝から晩まで考える日々だった。仕事としてリスク評価を日常的に扱っている者として社会に対してもっと情報発信したかったのだけど、恥ずかしながら自分自身のリスクマネジメントで手一杯だった。ぼくは茨城県牛久市(つくば市の隣)に住み、2歳の保育園児がいる。当時の自分のメモなどをもとに、忘れないうちにまとめてみようと思う。

東日本大震災が発生した翌日の12日午前、福島第一原子力発電所の1号機はベントを開始し午後に水素爆発する。2号機は13日午前にベント開始、3号機は12日と13日に続き14日朝にもベントを行い、そのあと午前11時に水素爆発。衝撃的な映像とともにぼくの緊張感が高まった。しかし14日までは茨城での放射線量の上昇は見られなかった。この日は月曜日。保育園は、弁当持参だったもののいつも通りだった。

放射線量の増加が茨城県で初めて観測されたのは翌日の15日。この日の明け方から北茨城の線量が上昇。線量率のピークを追うと、福島第一原子力発電所から75km離れた北茨城市が朝の5:50に5.6μSv/h、170km離れたつくばが13:30に1.54μSv/hを記録した。東京新宿でのピークは(時間は不明だが)0.8μSv/hだった。北茨城市からつくばまでの距離が100㎞くらいで、風速5メートル(時速18km)の北風に乗ったと考えたら辻褄が合った。さらに福島第一まで逆算すると現地で午前1時くらいに大きな排出イベントがあったことになる。発表されている記録を見るとこれに一致するのは2号機による「15日00:02ベント開始」だろう。2号機はこのあと午前6時に異音が発生、8時には白煙が発生する。ところが、福島第一原子力発電所での線量率ピークは午前9:00の約12mSv/hだった。おそらく風向きが変わったのだろう。このピークは南にはやってこなかった。夕方にはつくばでも0.24μSv/hに下がったことを確認し、ぼくは保育園に子供を迎えに行った。ぼくの実家は関西にある。実家からは孫を預かるから連れて来いという電話が連日かかってきた。「今はまだ大丈夫。自分で判断するから心配しないで」と返事しつつも、いつでも脱出できるように、リュックサックに必要なものを詰めて玄関に置いた。

16日も早朝に放射線量の軽いピークが出現した。北茨城では朝5時過ぎ、東海村で6時頃、水戸で6時半頃、つくばでのピークは朝7~8時頃に0.7μSv/hだった。ピークが通り過ぎただろうと思って朝8時半頃に保育園に子供を連れて行ったが、あとからチェックするとまだ下がり切れてない時間帯だった。ぼくはこの日までに昨日の経験から、福島第一から、つくばまで直線的に個人的なモニタリングポイントを設定していた。北茨城(75km)、東海村(110km)、水戸(140km)、そしてつくば(170km)だ。カッコ内は福島第一からの距離。そしてこの日までには、最悪の事態でも急性影響が問題になるレベルになることはないことを確信していたので、放射性物質の大きな排出イベントがあったとしても、風速10mでまっすぐ向かって来るとのワーストケースシナリオでも約5時間の猶予があることから、室内退避か西への脱出かの判断を落ち着いてできると考えていた。

異変はお昼に起きた。常にモニターしていた「茨城県の放射線量の状況」の更新が止まったのだ。嫌な予感どおり、北茨城で11:40に15μSv/hを記録したことが午後になって判明する。14日のピークの約3倍の線量率だ。この塊がこのままやってくると牛久でも4μSv/h程度まで上昇するだろう。そして保育園の迎えの時間にちょうど当たる。しかしモニタリングデータにはいつまで経っても、日立以南の地域の放射線量に変化が見られなかった。どうやらこの塊は西の風によって海に流れたようだった。風向きに助けられた。この日の高線量の原因は不明(記述なし)だが、3号機で朝8:30頃に白煙が立ち上ったという報道があり、平均風速8mなら北茨城市役所に11時40分に到達するので発生源はこれだったのかもしれない。

 17日からはしばらく放射性ヨウ素は半減期どおりに平穏に低減していた。18日に知人に出したメールには「何かあって現状の10倍の放射線量になった場合、それが一時的なものなら、室内でやり過ごすと思う(室内では10分の1くらいになる)。もっと濃度が高かったり、長く続きそうなら、子供は関西の実家に送るかもしれない」と書いた。21日は未明の降雨開始とともに茨城中部の水戸などで放射線量が急上昇し、場所によっては10倍近くまで上がった。午後になって、北茨城や高荻でも2~4μSv/hに上昇。つくばでの放射線量も21~23日には0.3μSv/h程度まで上昇し高止まりする。しかしこれをピークにその後、半減期どおりに低減して今(4月3日)に至る。保育園では地震以来、屋内で過ごしているようだ。そのため、子供はいつもにも増して散歩や公園に行きたがった。最初は様子を見ていたが3月末の週末からは外で遊ぶことを解禁した。これは少し慎重すぎたかもしれない。また、茨城県でも暫定規制値を超える野菜が検出され、牛久市の水道水でも100Bq/Kgを一度超えたが、念のため子供にペットボトルの水を飲ます程度でそれ以外はあまり気にしていない。それでも脱出用のリュックサックはまだ玄関に置いたままだ。これを片づけることができる日が一日でも早く来ることを願う。