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あらまほしき研究者~第5話 「夢」

メンバー 松永 猛裕
 中西部門長は「夢」という言葉がお嫌いのようだ。しかし、私は「夢」という言葉に特別な思い入れがある。また、子供の頃は貧乏だったということはこれまでは恥ずかしくて言えなかったのだが、こんな年になると抵抗はない。中西部門長の雑感に触発された形になるが、今回は少しシリアスな話を聞いて頂きたい。

私の両親は九州出身で昔気質がかなり残った人達だった。父は長男で「家」を重んじ、「家は長男が継ぐ。まわりはそれを支える」という思いが強かった。その思想自体は非難すべきことではなかった。問題なのは、3人の子宝に恵まれたのは良いが、深刻な貧困状態だったことである。私が小学生の頃から家庭での内職がはじまった。時給いくらではなく、1個作っていくらの仕事であり、5人家族で土日にフルで働いても1万円に満たなかった!私はケチだが、そんな暮らしをすれば誰だってケチな性分になる。両親は「長男だけはなんとか一人前に・・」という思いが強かった。戦略としては間違っていない。「家」としてかなり無理をして、長男を東京の私立大学に行かせることになった。次男の私と姉の内職の負担は増えた。自分のためならともかく、兄のために働くというのは相当なストレスだった。高校受験の時期になってもその負担は減らなかった。

公立高校の入試に落ちてしまった!絶望の中で私の怒りは爆発した。「生まれてきた順番が違うだけでこんな差別があって良いのか?」、「みんなと同じ勉強時間が与えられない状況で、フェアーな勝負になっていない」、「こんな家にはいたくない」などなど。一方で、すべり止めに他校を受験していなかった私はこの先、どうなるのだろうという心配もあった。高校浪人などさせてもらえるとは思えない。もしかしたら、このまま、働きに・・。

神様が救ってくれたとしか思えない。まったく偶然のルートで、浜松から離れた静岡の(当時は)無名の私立高校で全寮制の二次募集があるらしいという情報が入った。無計画な両親は静岡行きを許してくれた。あまりに不憫と思ってくれたのかもしれない。15歳の春、「ここにはもう戻らない!」という決意で家、故郷、友達を捨てて静岡に行った。悲壮感はなく、「これで自由だ」という希望に満ちあふれていた。同時に、「豊かな暮らしがしたい!」という世俗的で単純な「夢」を持った。それには学がないと・・と思って猛烈に勉強し始めた。通常、そうはいっても急には伸びないものだが、私は赤丸急上昇、半年後には特待生に選ばれ、学費免除となった。親への「負い目」はなくなった。他の学生と違いがあったとすれば、自由を手に入れて「学問ってむちゃくちゃおもしろいじゃん!」というルンルン気分になれたことである。ハングリーさはなかった。この辺が私のヘンなところかもしれない。東京大学理科I類に合格するというサプライズが起こった!

大事なものを犠牲にしてでも「やってみたい!」という強烈な思いが「夢」ではないか?一方で、不自由なく満ち足りた若者に「夢を持て」といってもピンとこないだろう。どういう意図で言ったかはわからないが、「夢など持ったことがない」という人がうらやましい。家を出た私の選択が正しかったかはわからない。父は私が就職する前に死んでしまったので今の私を知らない。母は長男の自慢話ばかりする人で、私は褒められた記憶がない。その母は2年前、脳梗塞で倒れ、寝たきり状態になってしまった。面倒は私が見ている。「いろいろあっても最後くらい親孝行しろよ!」という神様の声だろう。会話もできないので、私は生涯、褒めてもらえることはない。

重い話になってしまったが、「夢」という言葉について考えたときに、かなり曖昧なので都合のよいように解釈されてしまう危険性がある。少なくとも部下に対して「夢を持て」と気軽に言ってはならないことに気付いた。重要なプロジェクトや大事なノルマを捨ててまで「夢」を追求されては困る。研究者らしく、正しく言い直そう。「みなさん、爆発という狭い部落に閉じこもっているのではなく、飽くなき向上心と知的好奇心を持っていろいろな分野の人と付き合い、また興味を持って下さい。」とこんな感じか。

次回:10月1日更新予定